Топ-100
 
2024年7月18日
社会活動分野の受賞者デニス・フォン・メックさんについて
記者・インタビュア - エカテリーナ・アレクセーエヴァ -
日露チャイコフスキー・フォンメック協会理事 宮崎朋菜&鈴木玲子 共訳 他の言語で English German. русский

Denis von Meck is a direct descendant of the von Mecks, Tchaikovskys, and Davydovs families, a public figure, cultural volunteer, and curator of a virtual museum www.von-meck.info collector, publisher, genealogist, publicist, researcher of Tchaikovsky's life and work, International director of the Russian Musical Society, member of many historical societies in Russia and worldwide
全ロシアコンクールLINRの受賞者と候補者との対談を続けています。本日の対談のお客様は、2024年のアルトゥール・カール記念社会活動分野の受賞者となったデニス・フォン・メックさんです。デニスさんは啓蒙家、出版者、慈善家であり、チャイコフスキーファンクラブの創設者、そしてフォン・メック慈善財団の代表を務めています。

私たちについて:
RusDeutsch は、2003 年に設立された、ロシア国内外のロシア系ドイツ人コミュニティの生活における時事問題に関するインターネット ポータルです。
連邦および地域のニュース、ネットワーク プロジェクト、国際パートナーシップ プログラムについて報道します。
分析資料、歴史資料、研究情報、芸術家、文化・教育代表者へのインタビュー、報道レビュー、語学コース、コンテストに関する情報、ロシア系ドイツ人による文学などを出版しています。
デニス・アンドレーエヴィチ・フォン・メックさんは1969年4月16日、モスクワ市で生まれました。その有名な姓が示すように、デニスさんはフォン・メック家、ダヴィドフ家、そしてチャイコフスキー家の直系の子孫です。

デニスさんの職業は消防安全の事業に関連しており、専門はエンジニアです。長年にわたり、建設および製造分野関連の法人の責任者として働いてきました。しかし、ここ10年間、デニスさんは積極的に啓蒙活動を行っています。具体的には革命前の文化、芸術、歴史を普及させ、家族の伝統を研究・広めるとともに、チャイコフスキーファンの異文化間交流の発展に取り組んでいるのです。最近では、チャイコフスキーの名を冠した教育機関の連携に向けて積極的に活動を始めています
Peter Tchaikovsky portrait in the Great Hall of Moscow State Conservatory. Denis von Meck speech on the stage
デニス・アンドレーエヴィチ・フォン・メックさん
2024 年の市民活動分野の勝者

デニス・フォン・メックは日露協会の共同創設者でもある
インタビューの前に、デニスさんは時間、距離、偏見に立ち向かいながら人々を結びつける力を持つ文化についての驚くべき話を聞かせてくれました。

「ロシアの様々な都市を旅する中で、アコーディオンを演奏し、各国を巡業している音楽家に出会い、彼が語ってくれた話に深く心を動かされました。彼がドイツの小さな町でチャイコフスキーをアコーディオンで演奏していた時、最前列に高齢のドイツ人男性が座っていたそうです。コンサート中ずっと涙を流していたその男性は、演奏後に彼に近づいて感謝し、『また演奏しますか?どうしたらあなたの演奏会に行けますか?』と質問してきたそうです。アコーディオン奏者は『はい、明日もう一つコンサートがあります。ただ、別の町であるんです。ここから300キロ離れている町なんです』と答えました。

翌日、300キロ離れた別のドイツの町で再びチャイコフスキーを演奏していると、驚いたことに最前列に昨日の高齢のドイツ人男性が座っており、また涙を流していたそうです。演奏後、その男性が近づいてきて、震える老いた手で握りしめていた何かを差し出しました。彼はこう言いました。『これは私たち家族が父から受け継いだものです。父はスターリングラードで戦いました。その時、殺された一人のソ連兵の帽子から星を取り、それを戦利品として家に持ち帰ったのです。年月とともに、父の世界観は変わっていきました。

死の間際、父はこの星を見つけ、<どうかこの星をロシアに返してほしい>と言ってこれをわたしに託したのです』と。
そしてこの高齢のドイツ人男性は、父の最後の願いを叶えるべく、この話の主人公である私の知人にその星を手渡したのです。これについて考えてみてください。私にはこれがとても象徴的な出来事に思えます。人生のすべてのものは時とともに再考され、再評価されるのです。そして最終的には、文化と芸術が不和と憎しみに打ち勝つのです。」
Denis von Meck メックさんです。デニスさんは啓蒙家、出版者、慈善家であり、チャイコフスキーファンクラブの創設者、そしてフォン・メック慈善財団の代表を務めています。
デニス・フォン・メックが若い才能ある音楽家に賞を贈呈
あなたの職業において最も重要なことは何だと思いますか?

最も重要な資質は、私の職業にも、そして啓蒙活動にも、どちらにも当てはまります。

最も重要なことは、絶えず自己啓発、自己鍛錬を行うということです。私の職業である消防安全事業は、常に重大な変化が起こる非常にダイナミックな動きが存在する分野の一つです。毎年、規制にとても重要な変更が加えられます。そして啓蒙活動においては、なおさら学びは終わりのないプロセスです。
私の知る限り、私の家の系図は非常に広範で、そこには全く異なる分野で活躍した素晴らしい人々が驚くほどたくさんいます。1812年の将軍たちも然り、デカブリストたちも然り、実質的に国の全く新しい経済状況を構築していったと言っても過言ではない鉄道の先駆者たちも然り、平時中でも戦時中でもそのどちらにおいても皇帝一族の側に寄り添っていた人たちも然りです。私の先祖たちは信じられないほどたくさんの啓蒙活動を行いました。実に100以上の啓蒙団体や慈善団体を創設し、運営し、その発展に積極的に参加したのです。

10人分の人生をかけても完全に習得できないほどの膨大な量の資料が存在しますので、絶え間なく勉強を続け、自己啓発を続けなければいけないのです。このような状況下では、知識そのものだけでなく、コミュニケーション能力の面でも集中的に成長しなければなりません。
聴衆に正しく分かりやすく情報を伝える方法を学ばなければなりません。それというのも、聴衆は実に様々な人によって構成されているのですから。私の講演には6歳から96歳まで来ます。音楽家もいれば歴史家もいます。外国人もいれば、細部を理解しようとする人もいれば、トピックについて初耳だという人もいます。そのようなわけで、情報を分かりやすく、アクセスしやすい形で提供できる、魅力ある話し手になる必要があるのです。

ここでは二つのスキルが必要となります。まず、自分のイベントについて正しく情報を伝え、人々に来てもらうことができるスキル。日々の膨大な情報の流れの中で、自分のイベントを目立たせ、選んでもらう必要があります。そして、講演中に聴衆を惹きつけるだけでなく、理解しやすく興味深い方法で資料を提示し、次の講演にも来たいと思わせるスキル。これも重要です。私には数十の異なるテーマについての講演があるので大変です。」

あなたが最も誇りに思っていることは何ですか?

「私の人生は本当に興味深く、誇れることがたくさんあります。私はとても多くの国を訪れ、世界中に何千人もの知り合いがいます。これは、世界、宇宙、そして様々な文化についての理解を大きく広げてくれます。そして私たちが共通点を見出せる文化的背景というものがいったいどのようなものであるのかを、自ずからよりよく理解し始めるようになります。

ここでは、ピョートル・イリイチ・チャイコフスキーが素晴らしい模範例になると思います。文化における「平和の使者」の称号にふさわしい理想的な人物です。なぜなら、彼は原語で文学を読むために学んだ言語も含め複数の外国語を操り、19カ国を訪れ、世界中の165の都市で滞在しました。当時は飛行機がなかったことを考えると、これは途方もない数です。彼は非常に多方面にわたって発達した能力を持ち、好奇心旺盛な人物で、多くのことを知り、学びました。そして単に文学、文化、歴史だけでなく、様々な民族のメンタリティーをも理解していたのです。
これは本当に興味深い点だと思います。私の最大の成果は、私の人生がこのように展開し、非常に多くの国々で人々や彼らの歴史、文化に触れる機会を持てたことです。これは私の職業にも当てはまります。私は世界中の様々な国で講演を行ってきました。消防安全の分野は経験を共有することが大変重要な分野であります。私たちが経験を共有すれば共有するほど、世界中で命を落とす人々の数が減ることになるのです。ちなみに、私は消防史の歴史家でもあり、消防に纏わる物品の熱心なコレクターでもあります。文化的・歴史的な面でも同じことが言えます。お互いのよいところをより多く知れば知るほど、私たちが隣人として建設的に協力する可能性が高まります。問題点を探すのではなく、共通点を探すのです。世界が平和であり続けるのを手助けするのです。」

あなたの家庭に何かドイツ的なものの伝統は残っていますか?あるいは、家庭で典型的なドイツ的なものはありますか?

「いいえ、そういったものはありません。19世紀後半からすでに沢山の血が混ざり合い、ドイツ的なものはほとんど残っていないというのが現実です。従って、この質問には興味深い回答はできないと思います。
ただ、なぜだかわかりませんが、ファルツ=ファイン男爵についての本を読んでいた時に見つけた『ドイツ人はロシアにいると純粋なロシア人以上にロシア人になる』という、実に上手い言い回しを思い出しました。」


子供の頃はどんな夢を持っていましたか?

「子供の頃ですか... 私たちの子供時代はかなり色々な制限がありました。私はソビエト連邦で育ちましたからね。他の国々がどのようなものか、それらの国々の関係がどのようなものかについての理解は非常に曖昧なものしかもっていませんでした。当然、他の大陸の人々の生活がどのようなものかを知りたいと思っていました。大人になってから70カ国を旅し、その多くを10回以上訪れたので、幸いにしてある程度この夢を実現できたことに感謝しています。しかし、ここで重要なのは情報を得ること自体ではなく、それをどのように使い、どのような目的に活用するか、ということです。

私は人々を結びつけるような社会活動に非常に惹きつけられます。性格的に根っからの社会活動家なのでしょう。社会組織を立ち上げ、運営し、人々に何らかの利益をもたらす人々に感銘を受けます。

例を挙げましょう。ドイツにチャイコフスキー協会があります。それは専門家、音楽家、音楽学者だけでなく、音楽愛好家、メロマン(音楽好き)で構成されています。もちろん主にドイツ人によって構成されていますが、他国のメンバーも少人数ではありますが、います。あるとき、ドイツでの会合で驚いたことがありました。チャイコフスキーの名を冠した音楽協会に行ったら、何とそこで6つの言語によるプーシキンの詩を聞いたのです。「チャイコフスキー愛好家たち」がフランス語、ヘブライ語、英語、ドイツ語でプーシキンの詩を朗読していたのです。文化がいかに人々を結びつけるか、この一例からも分かりますよね!私はこれを大きな幸せだと感じています。特に、私の人生がこのプロセスの一部になれたことは大きな幸せです。夢は本当に面白いように実現するものです。ソ連のテレビで見たラスベガスのあるホテルの鮮やかな照明の映像を、鮮明に覚えています。そして1998年に初めてラスベガスを訪れた時、まさにそのホテルに泊まることになったのです!それがかのホテルだとは知らず、そもそも私がそのホテルを選んだわけでもありませんでしたし、でも、そのホテルを出たときに、私の子供時代の記憶にある、まさにその看板の光が点滅する光景を目にしたのです。ご覧のように、夢が実現する、これは本当にその通りなのです。」

現在はどんな夢を持っていますか?

「世界中の人々、すべての文化の人々が、違いを探すのではなく、交流のための共通点を見出すことを夢見ています。これが私の心からの願いです。」

もし子供時代の自分に電話をかけられるとしたら、子供の頃の自分にどんなアドバイスをしますか?

「怠けないようにアドバイスします。ありふれた言い方かもしれませんが、もっとスポーツをし、読書をし、外国語を学ぶように、と。とにかく子供の頃にもっと自己啓発をすることです。大人になってからではずっと難しくなりますからね。

デニス・フォン・メック - 日本ロシア協会共同創設者
日露チャイコフスキー・フォンメック協会 / 東京都千代田区神田紺屋町46 風月堂ビル3F
www.1220letters.com
fb.com/1220letters
デニス・フォン・メックの個人コレクションはペトル・チャイコフスキーに捧げられています
直接私にご連絡ください。
Denis von Meck
Phone: +7-985-233-65-25 (WhatsApp, Telegram, WeChat)
Email: info@von-meck.org